| ン序盤から主に中継ぎとして一軍で活躍し、夏場には先発も経験。4勝しかできず、ブルーウェー |
| ブが苦手中の苦手としていたダイエー(現ソフトバンク)に強かった覚えがあります。崩壊した投手 |
| 陣の中で、先発・中継ぎどちらでもできる貴重存在でしかも、貴重なサイドスロー投手でした。 |
| それだけに期待された2005年は登板数こそ減ったものの、防御率は2004年よりも1点以上低く |
| なり、被本塁打も0。四死球も6と進化した姿を見せてくれました。「オリックス・相木」として見たの |
| は2005年5月15日の広島戦が最後になってしまいました。この試合は両軍合わせて42安打、30 |
| 得点という超打撃戦になった試合。 |
| 先発、中継ぎどちらでもできる器用な相木投手を見る機会は少なくなると思いますが、新天地の |
| 阪神タイガースでも頑張ってもらいたいです。 |